僕が社長になるまで。

5年後に起業を志す27歳の若者が会社を立ち上げ、社長になるまでの記録です。

人生を懸けた目標。

 

社会人1年目の頃、僕は人生を懸けた1つの目標を立てました。

 

 

「将来は経営者になる。」

 

 

僕の父親は国際総合物流に勤める管理職。新卒から現在まで1社で立派に勤め続け、同期の中でも出世レースの勝ち組だったようです。

 

東証1部上場企業で部下を何十名も持つ立場になり、一昨年か去年だったか子会社の社長へ打診されるも家庭理由もあり、打診を断り1度見送る判断をしました。

 

僕が小さい頃は深夜12時半頃に帰宅し、朝6時頃には家を出発していたハードワーカーの父親のもとで育った僕は、

働くのは辛いが、「働くからこそ人生は豊かになり、良いものになる。」という考えをどこか心の幹なる部分に持っていたのだと思います。

 

父親も相当辛いことがあったと思いますが、それでも家族を養うためにハードに働き、人の倍。いや、それ以上の成果を仕事で出してきたからこそ、

高い報酬と職位を手にしているという僕にとって最も距離の近い社会人のロマンと現実が常に傍にあった気がします。

 

 

 

親子鷹・・・父と子が共に優れた能力を持っていることを表す比喩表現。

 

 

この言葉ほど、僕にとって重くのしかかるものはありません。

 

 

思えば、父親は学校名を言えば誰でもわかる進学校から特待で大学へ進んでいます。大学時代も優等生だったそうですが、驚くべきは学生の頃から先見性があったことです。

 

社会では「激務」「転勤が多い」といった負のイメージが強いものの、何があっても回り続けるであろう準インフラなる社会の動脈、物流界へと就職したのです。

 

その鷹である父親のDNAを引き継いでいるはずの僕はというと優れた成績を収めるような俗に言う優等生ではありませんでした。

小学校、中学校、高校とバスケに熱中しただけで、学業成績はオール3のようなごくごく普通にいる「一般生徒」だったと思います。

 

突出した何かを持たない僕は平凡な準私大に進学するという普通の選択をします。後にこの大学への進学は英断だったことになります。

 

そうです。綺麗な桜が学内を舞う入学2日目に出会った同期の爽やかなイケメン。医療従事者の両親を持つ彼こそが現在、共に起業を志す同志、真太。

  

共に夢を持ち、想いを形にするために人生を一緒に懸けてくれる相棒と奇跡的な出会いを果たすわけです。

 

高校生の頃から僕は社会人になっても「父親を超えるビジネスマンになる」ことは難しいだろう。という思いは薄々ながらありました。

息子に無理した発破をかけるタイプではない父親ですが、やはり息子に期待をすると言うのは事実あるのではないかと思います。

 

いつしか僕の思いは1つ具体的になっていました。それは、

 

「父親を超える」と言うこと。

 

勝負の熱意ではなく、両親への感謝。それが父親を超え、金を稼ぎ、両親へ最後は必ず最高の孝行する。

そういった思いです。

 

 

大学卒業後、僕が選んだのは人材業界。

 

 

父親と同じ物流界へ歩みを進める選択を自分もしていたら、まず敵わない。僕は自分の思いや就職への執着もありましたが、別の理由に

父親には自身の仕事へ誇りのようなものもあるように感じたからです。

  

物流という仕事柄、台風が来ても、地震があっても社会、人のために通常スケジュールで物を届ける。

 

天災による休日出勤や海外にも頻繁に飛び回っていた父親を動かしていたのは「仕事への誇り」だったのかは聞いてみるしか分からないけれど、真面目なだけではない別の何かだと思います。

 

父親のようにガンガン自分の思うがままに働く人がいる裏で、仕事に悩み、苦しみ、自ら命を絶ってしまうような人もいる。

僕の母親のように働くことが難しい体になってしまったり、完治しても年齢的に再就職が困難になってしまう人もいる。

 

「働くからこそ人生は豊かになり、良いものになる。」という思いを物心がついた頃から感じていた僕は働く機会を創る仕事へ興味を抱くようになり、

その思いはいつしか

 

変えてやる。

 

という思いから想いへと変わっていました。それが、僕が自分の中で出した就職への答えです。

「労働社会で苦しむ人を助けたい」

その想いだけを心の幹に新たに刻み、僕は人材業界へ就職しました。そして現在もその想いは腐らずに持ち続けています。

人材業界で沢山の社長、トップと出会いました。担当する業界は様々でしたが、1つこれだけは言えるという事があります。

 

それは、どんな仕事も素晴らしい。ということです。

 

人材業界へ就職して1年も経たないある日、電気設備会社の社長さんは真夏の暑い日に僕を作業車に乗せて、一緒に現場に連れてって下さいました。

 

集中力も散漫になりそうな灼熱の住宅街で電線に不具合が無いのかチェックを行うのですが、高所、感電のリスクなども考えると常に死と隣り合わせの仕事です。

 

朝から始まったチェックも無事に終わり、社員さん達が降りてきて事務所へ帰る頃には夕方になっていましたが、

社長さんは「おつかれ!今日はエエ仕事したな!」と社員さん1人1人に声をかけていました。

 

僕は求人広告に使う写真を撮るために同行しただけですが、痺れる程にカッコイイ、スーパーヒーローのような仕事だなと感じました。

 

また、社長さんは僕にも「お疲れ」と言って下さいました。仕事の醍醐味や苦難を知り、器が大きく、社員を可愛がる社長さんを見ると

憧れのような何とも言えない思いが込み上げてきました。

 

出発前は「今日、すっげー暑いけど、この仕事外でやるみたいだし大丈夫なのか。」ぐらいに思っていた自分を叱り、深く反省しました。

 

学生の頃や社会人歴が浅かった頃の僕は自分の中にあるイメージで「仕事」を語っていました。

でも人材業界に就職して経営者や社員の方々が実際に働く場面を傍で見たり、インタビューするうちに、その自分の世間知らずさを恥じる事になりました。

 

仕事に優劣はない。僕は自分の経験談からそう断言できます。どんな仕事も誰かの役に立ち、支え合って社会は成り立っている。

これまでは分かっていたようで実際は理解が浅かったと思います。

 

 

父親の仕事をする姿から「働くからこそ人生は豊かになり、良いものになる」と感じ、父親を超えるためと、

「労働社会で苦しむ人を助けたい」という熱意を持って人材業界に入り、そこで出会った経営者、トップから自分の青さを認識しました。

 

そして社会人1年目の終わり、当時23歳だった僕は仕事に熱く向き合う経営者の人たちに感化されて、僕も経営者になると人生を懸けた目標を立てたのです。

 

父親が管理職だったことや僕自身が経営者と仕事をする事が多い営業職だったこともあり、経営には社会人1年目から興味があり、自分なりに勉強をしていました。

 

しかし、1人で考え込み、固まった頭で起業を目指すより事業の企画や目指す方向性を常に確認し合うためにも共に人生を懸けて戦ってくれるビジネスパートナーの存在が必要でした。

そこで、学生時代に出会ってからずっと僕の精神的支柱であった彼に声をかけます。2020年のことです。

 

自分に不足した部分を補ってくれる頼もしい存在。

 

頭も非常に良く、NO.2の動きを知る真太をエンジニア兼副代表。つまり、将来の共同経営者として猛烈に口説き、本日も2人で起業に向かって歩みを止めずに来ることができました。

 

最近は昔のようにただ仲良しの親友ではなくビジネスパートナーに近づいてきているような気がします。

だから時には思いや意見が衝突したり、ヒートアップしてしまうこともありますが、僕も真太も見ている未来は同じです。

 

2人で起業を志して早1年になりますが、9月〜10月には事業企画を1つ社会に開示したいと考えております。

特許への申請なども検討中であるので実際には未確定です。

 

 

一定の期間だけでもビジネスプランを保護するのか、それとも資本主義社会の自由競争に則り、社会に開示し、反応を見るのか。

 

理由があり、どちらか1つしか選べないのです。

 

 

真太も言っていましたが、どちらを選んでも後悔はないです。自分たちに出来る最大限のことは精一杯やったと思うので。

自分たちで来週、最後の議論した上で決めたいと思います。

 

やっとここまで来るのにという自分たちへの慢心は一切なく、実際はスタートラインにもまだ立てずにいる若者2人です。

本日も僕たちが起業を目指せるのは、ひとえに起業への嬉しいご声援、ご指導下さる皆様方のお陰でございます。

皆様方のメッセージはモチベーションに大変、繋がっております。起業を目指し、改めて人との繋がりは大切であると身に沁みる毎日です。

 

この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。

 

最後に、皆さんへ本日の記事を届ける少し前に僕と真太の起業への想いを真っ直ぐに伝えているメッセージ・ページも作成しております。

 

読んで下さると光栄です❤︎(。☌ᴗ☌。)

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